タイトルは
東京少年の
ナンバーから。東京少年たってボーカルの笹野みちるは関西女じゃんかってな話を友達としていたのだが、彼女は同性愛者(本人が告白した)だったのね。ひょっとしたら性同一性障害とかだったかもだけれど、まぁそういったことはさしたる問題ではないな。もちろんそういう事実によって東京少年なり笹野みちるなりに対して僕は何の偏見も抱かない。そんなことは当たり前のことだが。ただ、楽曲を聴いていて「なんだか変な歌詞だなぁ」と思ったことはあるのだけれど、それはまぁ仕方なかろう(^^;。結構好きなバンドだったなぁ。
で、コギト・エルゴ・スム ね(笑)。まぁ「我思う、故に我あり」なわけだが、我があったからなんだというのだろう?大事なのはその「我」がどういう存在なのかということ、だと思うのだけれど。
自分が無価値な人間であると規定することはあまりよろしいことではないのだろうな、多分。そうは言っても現実に大多数の人からみて悪、というのがシビアすぎるのであれば「よろしくない」という言い方でもいいのだけれど、そういう行為を繰り返すってのは控えめに言って無価値な人間ではないかと思う。控えめでない言い方をすると「存在自体が悪」ということだな。ってなことを考え、翻って自分はどうかと考えると死にたくなるよなぁ。いや、死なないんだけどね(^^;。まぁ自分に向かって「死んじゃえばいいんだ」って呟くのは日課みたいになってはいるが(駄)。というかそういいながら死なないってことに問題があるよなぁ。いや、だから死ぬのが正しいという話ではない。そうではなくて、自分の性質上「言ったことは守らなくてはいけない」というのがあって、それに反するじゃないかということね。いや、だから言行を一致させるために死ぬという話ではなく・・・ってきりがないな(^^;
なんか話がずれてるぞ?えっと、なんだっけ?ああ、「死にたくなる」話か(駄)。物の、あるいは人間の価値というのは相対的なものであり、総合的なものだよね。人間について言えば、ある人間がどうしようもない人間だと大多数の人からみなされていても、そのことだけをもってその人が無価値な人間だと決まるわけではない。当たり前のことだけれど。だからといって「どんな人間にだって価値がある」とか「生きていること自体が素晴らしいことであり、無価値な人間などいない」と言い切れるほど僕はおめでたくない。もちろん、自分について考える場合にはということね。他人の価値を断じるような
資格は僕にはないからな(って威張ってどうする)。まぁそんなものは誰にもないのかもしれないけれど。
こういうことを書くと「同情されたり慰めたりされたいんだろう?」ってなことを言われそうなんだけれど、どのような意味においてもこの文章はそういう意図で書かれたものではない(ってだから威張ってどうする)。
posted by まも at 00:00| 東京

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